「お守り」をお授けいたします

1月1日(水)から 2月3日(月)まで

 

 令和最初の年末を迎える月になりました。皆さまにおかれましては、今年はどんな年だったのでしょうか。 正福院では毎年1月1日午前0時より、平和な世の中で私たちが安心して暮らせるよう、一年の安泰をご本尊さまに祈る法要(修正会(しゅしょうえ))を厳修(ごんしゅう)しております。

摩訶毘盧遮那如来

また、修正会法要中には、皆さまお一人お一人の息災安穏(そくさいあんのん)を祈り、お守り(紙札)をお加持(かじ)し、上記の期間中に正福院にお参りに来られた方全員にお授けいたします。お守りは、お財布や定期入れに収められる大きさなので、ご本尊大日如来さまが、いつでも見守って下さります。

ご一同様お誘い合わせの上、是非ご参詣ください。お待ちしております。


 

般若心経(はんにゃしんぎょう)その1

世界で一番有名なお経


 数あるお経の中でも般若心経は欧米諸国でも翻訳され、僧侶だけにとどまらず、広く一般社会にも親しまれているお経です。3分もあれば全文をお唱えすることができ、写経をするにも多くの時間はかかりません。


 現在もっとも広く読まれているのは西遊記の玄奘三蔵法師の訳したものです。大般若経(だいはんにゃきょう)600巻という仏さまのご修行について書かれた膨大な内容をわずか262文字という必要最低限に凝縮し、その教えを会得できるというありがたいお経ですから、ただ唱えるだけで功徳があり、書写することでも功徳があると言われています。故人やご先祖さまへの毎朝のお仏壇の前でのおつとめや、願いを叶えていただくお祈り(祈祷(きとう))など、時代を越えて唱え継がれ、書写し継がれてきました。


 江戸時代には下のように「絵心経(えしんぎょう)」というものが作られました。絵で般若心経を読めるようにしたものです。たとえば釜の絵を逆さまにして「まか(摩訶)」、般若のお面で「はんにゃ(般若)」、人の腹の絵で「はら(波羅)」と読ませました。 絵と内容は全然関係ないのですが、この絵をたよりに一字一字読もうとし、少しでも仏さまのお言葉に触れたいという当時の庶民の思いが伝わります。

 

般若心経絵文字

般若心経 絵文字


 

般若心経(はんにゃしんぎょう)その2

仏説摩訶般若波羅蜜多心経(ぶっせつまかはんにゃはらみつたしんぎょう)


 これが正式な般若心経の経題(きょうだい)(お経の題名)です。真言宗では経題の最初に「仏説(ぶっせつ)」を付けます。ほかの日本の伝統仏教宗派は「仏説」を付けずに「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみつたしんぎょう)」とお唱えします。また、浄土真宗系と日蓮宗系は正式には般若心経をお唱えしません。


 このお経に書かれているのは「すべてのものは固定していない。常なるものはない。」ということです。あらゆるものは常に変化します。真実の智慧によって照らされた世界の姿は、とらわれるべきものは何もないことを意味します。真実の智慧は静かな心の中に現れてくる体験の智慧ということです。


 般若心経の意味については一般的には「すべてのものは(みな)(くう)である」という教えを説いているお経である、という見方をします。しかし真言宗では「大般若菩薩(だいはんにゃぼさつ)(さと)りの境地(きょうち)を表したお経である」と説きます。ですから般若心経という経題を「般若波羅蜜(はんにゃはらみつた)真言(しんごん)(しめ)すお(きょう)」と訳し、心経の「(しん)」を真言(しんごん)のこととします。


 般若心経の最後に「掲諦掲諦(ぎゃていぎゃてい) 波羅掲諦(はらぎゃてい) 波羅僧掲諦(はらそうぎゃてい) 菩提娑婆賀(ぼじそわか) 」と真言が説かれていますが、わざと訳さないで原語を音写しています。それは「真言そのものに大きな力があるので訳すものではない。」と言われているからです。


 私たち真言宗(しんごんしゅう)宗祖(しゅうそ)弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい) )さまは、この真言の力について「真言は不思議である。ご本尊を観じながら心静かにお唱えすれば、心の迷いが除かれる。わずか一字の中にたくさんの教えが含まれていて、この身このままで仏の智慧と真実を実証することができる。」と、お言葉を残されています。


 般若心経をお唱えすることによって、他に比べようのない真言をお唱えすることになり、心の迷いが取り除かれていき、真実の智慧による悟りを得ることができると教えられてきました。


 

おせがき(施餓鬼会(せがきえ)

 おせがき(施餓鬼会)は多くの寺院で行われる代表的な仏教行事です。お施餓鬼(せがき)は「餓鬼(がき)」に「(ほどこ)す」と書き、有縁無縁(うえんむえん)の一切の餓鬼に食物を施し与えて、餓鬼道の境遇からひとり残らず助け出すために祈りを込めます。


 では、餓鬼とはいったい誰なのでしょうか?・・・
 餓鬼とは迷いの世界をさまよい続けている者たちですが、我に振り返ると、それは私たちの心の底に持ち合わせている気持ちではないでしょうか。


 私たちは自分ひとりで生きていくことはできません。自分でも気が付かない様々な関わりのおかげで、この世を生きていくことができるわけです。どなたでも少し立ち止まって思いを巡らせれば納得できることなのですが、ついつい自分本位に考えてしまいます。自分の思い通りにならない・・・ここから「苦」が始まるのではないでしょうか。


 おせがきは多くの僧侶と皆様とともに、三界万霊(さんがいばんれい)(有縁無縁すべての御霊(みたま))に思いを巡らす大切な法要です。今一度、自分自身を見つめ直し、そして一つ一つの行動を律するきっかけとなるよう、ご本尊に思いをお伝えします。日頃のお墓参りでは、ご先祖さまたちに思いを巡らしますが、「おせがき」ではご先祖さまだけでなく、この世に関わる全てのいのちに心を込めて思いを巡らし、皆様とご一緒に祈りを捧げてまいります。

 

 合 掌

 

 おせがき(施餓鬼会)の由来
 お釈迦さまの弟子の一人である阿難尊者(あなんそんじゃ)はある日「(むさぼ)りの心が消えないお前は、やがて餓鬼道に堕ちるだろう」と餓鬼に忠告されます。
驚いた阿難尊者はお釈迦さまに相談すると「陀羅尼(だらに)(ご真言(しんごん))」を唱えて食べ物を餓鬼に施せば、たくさんの餓鬼が救われ、その功徳でお前も救われるだろう」と申され、供養の方法を教わります。
その教えのとおり阿難尊者が餓鬼を供養したのが、おせがき(施餓鬼会)の始まりと言われています。


 

(きょう)(とな)える

声を出して唱えることが一番の功徳(くどく)になる

 

 ご葬儀やご法事でお経を聞いているとき、僧侶が唱える言葉の意味がよくわからず「退屈な時間・・・」と感じることがありませんか?それはお経のほとんどが漢語を用いているからなのです。まるで外国語を聞いているような感じですね。

 お経には、ほとけさまのお言葉や大切な教えが書かれています。日々の生活の中で、たとえお経の意味がわからなくても、毎日声を出して唱えることが一番の功徳になるとも言われております。

 お経を唱えるということは、『ほとけさまの深遠な教えを私たちが口にして、少しでもほとけさまの境地に近づけるようにする』ことなのです。

 お通夜やご葬儀などの場面において、僧侶と一緒にお経を唱えるということは、これから仏門にお入りになられる故人に「ほとけさまの教えの素晴らしさ」と「残された私たち遺族も共に仏道修行に邁進いたします」との思いや誓いをお伝えすることなのです。またご法事などの場面では、ほとけさまの世界でご修行を積みながら、残された遺族をいつも見守って下さっている故人に対して、感謝の気持ちを捧げることなのです。

 ほとけさまの教えを信仰する私たち仏教徒は、懸命に読経(どきょう)を続けてきました。心を込めて、はっきりとした声で、一字一字丁寧に噛みしめるようにお唱えしております。 そういった意味で僧侶の世界では読経の際「お経本を読む」ではなく「お経本をいただく」と言っております。僧侶が毎日勤行を行うことは、毎日ほとけさまのお言葉を復唱(ふくしょう)させていただいているわけです。

 これは、写経にも言えることで、ほとけさまのお言葉を書き写すということになり、写仏はほとけさまそのものを書き写すということになります。そして、その行為をすることにより、私たちはほとけさまから何かをいただいているわけです。


 

仏旗(ぶっき)

摩訶毘盧遮那如来

 正福院では春と秋のお彼岸期間、お盆の期間、そして施餓鬼会の日などに客殿玄関の横に仏旗を立てています。お気付きの方も多いのではないでしょうか。

 

  仏旗は仏教を象徴する旗です。古い経典の中で『お釈迦さまの身体から「青」「黄」「赤」「白」「(かば)」「輝き」の6色の光を放つ』と説かれていることから、仏旗にはこの6色が使われています。
また、「輝き」は他の5色を上から順に並べた縞模様で表しています。そのために仏旗は「六色仏旗」とも呼ばれています。

 

仏旗の色はそれぞれの意味を表します。

 

青:仏さまの頭髪の色「定根(じょうこん))」 心乱さず力強く生き抜く力
黄:仏さまの身体の色「金剛(こんごう)」 確固とした揺るぎない性質
赤:仏さまの血液の色「精進(しょうじん)」 慈悲の心で人々を救済し尽す
白:仏さまの歯の色 「清浄(しょうじょう)」清純な心で悪業や煩悩の苦しみを清める
(かば):仏さまの袈裟の色「忍辱(にんにく)」 迫害や誘惑などに耐えて怒らぬ力

 

  仏旗は多くの仏教国で掲げられていますが、国によってさまざまです。1950年、世界仏教徒連盟(WFB)が第1回世界仏教徒会議をスリランカで開催し、この5色を用いた旗を世界の仏教徒のシンボルとする提案がなされ、「国際仏旗」として採択されました。

日本では1954年に第2回世界仏教徒会議が永平寺で開催され、その際にこの「国際仏旗」が採択されています。それまでは「緑・黄・赤・白・紫」の5色でした。なので、旧来からの配色の旗を「旧仏旗」、「国際仏旗」を「新仏旗」と呼ぶこともあり、地域によっては「旧仏旗」を掲げている寺院もあります。


 

彼岸(ひがん)彼岸会(ひがんえ)

 お彼岸は1年に2回(春と秋)あり、春分の日・秋分の日を中心として、前後3日間を合わせた1週間をいいます。お彼岸の初日を「彼岸入(ひがんい)り」、最終日を「彼岸明(ひがんあ)け」、そして春分の日と秋分の日を「中日(ちゅうにち)」といいます。

 

 彼岸とは「(さと)り、涅槃(ねはん)境地(きょうち)」を意味しており、その語源はサンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多(はらみった))」の漢訳語「到彼岸(とうひがん)」からきています。煩悩と迷いの中で生きている私達の世界を「此岸(しがん)」といい、悟りの世界へ到達する(到彼岸)ために、6つの誓い(六波羅蜜行(ろくはらみつぎょう))を実践します。

 

六波羅蜜行

布施(ふせ)……惜しまず与える
持戒(じかい)……規律を守る
忍辱(にんにく)……怒りを捨てる
精進(しょうじん)……正しい努力をする
禅定(ぜんじょう)……心を落ち着かせる
智慧(ちえ)……物事を正しく判断する

 

 このようにお彼岸の期間は、人が人として生きていく上で、正しい判断と行動がとれるよう心に決めて、彼岸の世界にいらっしゃるご先祖さまにお誓いします。お墓は、ご先祖さまが眠っておられるとても大切な場所です。お彼岸の期間は、ご家族やご親戚のみなさんでお墓参りに行き、時空を超えたいのちといのちの繋がりを改めて確認し、これからもその習慣を大切に守っていきたいものです。

 

「ぼたもち(牡丹餅)」 と 「おはぎ(お萩)」

 春のお彼岸の頃に牡丹の花が咲き、秋のお彼岸の頃に萩の花が咲くことに由来しています。また、牡丹の花ですから「ばたもち」は大きめに、萩の花ですから「おはぎ」は小さめに作られました。基本的には同じ食べ物ですが、食べる季節が違うために、呼び方を分けたそうです。(諸説あり)

 

国民の祝日

 春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日として、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日として、国民の祝日に関する法律に定められています。


 

ご葬儀とは

 悲しい別れを受け入れる大切な時間

 故人に「ほとけさま」になっていただく

 

ご葬儀には3つの意味があると言われています。

 

①亡くなった方のお (とむら)い【宗教的意味】

 世界中の民族でお弔いをしない民族はないと言われています。宗教儀式を行い、仏教では成仏(じょうぶつ)への祈りを捧げます。

 

②亡き人とのお別れ【社会的意味】

 故人と親交があった方々が最後のお別れを告げる場面です。本来は葬儀終了後いったん僧侶が退出し、改めて入場して告別式を行っていましたが、最近は簡略化され、「葬儀・告別式」といわれるようになり、僧侶の退出後に告別式(棺にお花を入れたり、故人と最後のお別れをする時間帯)を行うことが多くなりました。

 

③儀礼の大切さ【悲しみを癒す意味】

 きちんとした儀礼で読経がなされ、ご葬儀が執行されることによって、残されたご遺族は、故人のためにしっかりと丁寧にお別れができたという気持ちの整理がつき、後々にこころの安らぎや安堵につながります。つまり、悲しみを癒す意味があるのです。

 

 

 私たちは「いつか必ず死ぬ」という有限性と、「いつ死ぬかわからない」という危険性のなかで、この世を生きています。つい最近に会って、楽しいひと時を一緒に過ごした友人が、突然亡くなるというような辛い経験をされた方もいるのではないでしょうか。

 

 しかし、お亡くなりになられた方は、すべてが無になったわけではありません。むしろ、人智を超えた大いなる世界にお戻りになられたのです。

 

 仏教では亡くなられた故人に「ほとけさま」になっていただくので「成仏(じょうぶつ)」といいます。「ほとけさま」になっていただき、これからもずっと私たちを見守っていただきたい想いを伝えます。ご葬儀は故人が「ほとけさま」になるためと、残されたご遺族が、これからの生活において、故人、つまり「ほとけさま」は、いつも近くにいるということに共感する大切な儀式なのです。

 

 故人は「あの世」そして残されたご遺族は「この世」に分かれてしまいますが、かよわすこころは一つです。


 

お塔婆とは

亡き人へのお便り

 

五輪塔

 お塔婆を建てることは、仏塔を建立することと同じ意味がありますが、さらには亡き人への「お便り」と言ってもいいでしょう。親しい方から届くお手紙は嬉しいもの。それは亡き人も同じ思いです。

 

 お塔婆の表には、胎蔵界(たいぞうかい)大日如来「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」の種字(しゅじ)年回忌(ねんかいき)ご本尊の種字とご真言、そしてお戒名が書かれており、「お便り」の宛先と宛名となります。また、裏には金剛界(こんごうかい)大日如来「バン」の種字と、苦厄災難を除く破地獄(はじごく)のご真言、そして亡き人がお大師(弘法大師)さまや大日如来さまに守られるようご宝号(ほうごう)が書かれています。お便りは切手を貼らなければ届かないように、僧侶の供養によって、亡き人に施主からのお便りをお届けします。

 

 お塔婆を建て、お墓でお祈りするときは「こんなことがありました・・・」と近況をご報告しましょう。亡き人の祥月命日、春や秋のお彼岸、お盆、おせがきなどでお塔婆を建て、定期的に近況をご報告して下さい。 苦しい時、悲しい時、嬉しい時、楽しい時、お墓参りに来て亡き人に自分の気持ちを伝えましょう。仏となった亡き人はきっと共に悲しみ、共に喜んで下さるはずです。時空を超えたいのちといのちの繋がりを育んでください。

 

◎意趣書の異称として寳塔者のほか 法塔者・芳塔者・智塔者・香塔者・髙塔者・妙塔者などと書きます。


 

お墓とお塔婆

お墓(五輪塔(ごりんとう)

 

五輪塔

 今からおよそ2500年前、お釈迦さまが亡くなられて、ご遺体は荼毘(だび)に付されました。
信者たちはお釈迦さまのご遺骨を部族ごとに8つに分けて持ち帰り、舎利塔(しゃりとう)仏塔(ぶっとう))を建てて心の拠りどころとしたと伝えられています。この舎利塔(仏塔)がお墓の始まりと言われています。

 時代は下り、真言宗では仏塔はお釈迦さまの教えそのものの象徴として説かれるようになりました。そのため仏塔はその教えに沿った独特の形となり「五輪塔」と呼んでいます。
五輪とは、この世の一切の存在の構成要素としての「地」「水」「火「風」「空」の5つを指し、この構成要素を「輪」とも「大」ともいいます(例:地輪、地大)。現在の一般的な四角柱形のお墓は、五輪塔をもとにして「地輪(地大)」の部分に上の4つの構成要素が含まれるものとされ、五輪塔と同じ功徳があるとされています。

お墓を拝むことは、故人のご冥福を祈るとともに自己のいのちを見つめ直し、そしてお釈迦さまの説かれた教えに生きることを意味し、さらには大日如来さまそのものを拝むことになります。

 

お塔婆(卒塔婆(そとうば)

 

五輪塔とお塔婆

 お塔婆は古代インドで塔を意味する「ストゥーパ」という言葉を漢字に音写したもので、正式には卒塔婆といいます。
 もとは亡き人の追善供養のために建てる仏塔でした。鎌倉時代の頃から、私たちが現在建てている板の塔婆が一般的になりましたが、板の塔婆としても五輪を表すために、上から「宝珠」「半月」「三角」「円形」「方形」を表す刻み込みを入れ、そこに5つの構成要素を表す梵字(ぼんじ)種字(しゅじ))が記され、それはそのまま大日如来さまを象徴しています。


 

正福院ご本尊大日如来(だいにちにょらい)

摩訶毘盧遮那如来

 大日如来とはサンスクリット語(古代インド語)でマハーヴァイローチャナ(偉大な輝くもの)と訳し、漢字で音訳すると摩訶毘盧遮那如来(まかびるしゃなにょらい)といいます。

 「如来」はこの現世ではなく仏界の中の浄土と呼ばれる遥か彼方にいるとされています。釈迦如来(お釈迦さまが悟りを開いたお姿)、薬師如来(病気や災害から守ってくれる如来)、阿弥陀如来(我々を極楽浄土へ導いてくれる如来)など、多くの如来が生み出されました。

 大日如来はその中でも真言宗における絶対的な存在とされ、その智慧の光明は太陽のように世界を照らし、生きとし生けるものを育みます。

 お不動さま、観音さま、お地蔵さま、お薬師さま、そしてお釈迦さまなど、すべての仏さまは大日如来がお姿を変えたものとされています。つまり、どの仏さまを拝んでも大日如来を拝むことになります。また、他の如来とは違い、宝冠(ほうかん)(王冠)や瓔珞(ようらく)(首飾り)など華麗な装飾品を身に纏っているのが特徴です。

 

金剛界(こんごうかい)胎蔵界(たいぞうかい)

 大日如来は二種の形があり、真言宗の二つの根本経典である『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』に基づく金剛界曼荼羅の主尊である金剛界大日如来と、『大日経(だいにちきょう)』に基づく胎蔵界曼荼羅の主尊である胎蔵界大日如来があります。

 正福院の本尊は金剛界大日如来です。最高の悟りの境地を象徴する智拳印(ちけんいん)を胸の前で結び、左手は私たち「衆生(しゅじょう)」、右手は「(ほとけ)」を表わし、衆生が仏の境地に入ることを示しています。

合 掌   


 

住職あいさつ

face平成6年4月1日に真言宗智山派の僧侶になるため、本山の養成機関である「智山専修学院」に入学し、1年間修業をさせていただきました。
卒業後、浅草仏教会の事務局を2年間勤め、その後、真言宗智山派宗務出張所職員、公益財団法人全日本仏教会事務総局と、平成28年3月31日の任期満了まで、約20年間の職務を通して、宗派の垣根を超えた様々な方々との協調や、関連する業界団体の方々との協働関係を築くことができました。
平成28年の4月1日から正福院の住職として、毎日お寺におります。
これからは今までの経験を糧に、地に足を付けて丁寧に歩んで参りたいと存じます。
皆様のご参詣をご本尊さまとともに心からお待ちしております。

正福院 第三十三世 範 祐  敬白